2010年11月の総選挙を受けて2011年3月下旬に成立した政権には意義のある進展も見られたが、ビルマの人権状況は2011年を通して劣悪な状態が続いた。表現、結社および集会の自由は著しい制約を受けている。メディア規制については、インターネット・アクセスの増大や、公式には取材禁止とされるテーマに関するジャーナリストの活動範囲の拡大など、緩和された部分もあるが、政府の検閲により、重要な国内問題の多くを報道する際には制約がある。政府は5月と10月に恩赦を行い、政治囚を推定で316人釈放したが、これより多くの人びとがいまだ獄中にある。
民族紛争は2011年に拡大した。原因は民族武装組織との長年の停戦がビルマ北部で崩壊したためだ。ビルマ国軍は、紛争地域の民間人(=非戦闘員)に対する強制労働、超法規的殺害、性暴力、「人間の盾」の使用、民間人への無差別攻撃などの人権侵害行為の責任を引き続き負っている。同国内の武力紛争の全当事者による、国際人道法の深刻な違反行為に関する国連調査委員会の提案には16カ国が支持を表明したが、いずれの国も委員会設立に向けたリーダーシップを発揮してはいない。外国政府関係者は、組織的な弾圧の継続を示す大量の証拠が存在するにもかかわらず、ビルマ政府の改革策に対する楽観的な見通しを述べた。
変化のきざしと恒久的な改革への依然不透明な見通し
ビルマの連邦議会と14州・管区の地方議会は2011年1月下旬に招集された。軍事政権から新政権への形式的な権力委譲は3月30日に行われた。退役国軍幹部が閣僚ポストの大半を占め、現役幹部は憲法の規定により国防、内務、国境問題各省の大臣に就く。退役国軍幹部(階級は将軍)で元首相のテインセインが新大統領に選出された。下院議長も退役国軍幹部であるほか、多くの退役した国軍将校が、国軍の支援を受ける与党・連邦団結発展党(USDP)の要職に就いている。
テインセイン大統領は3月の就任演説ではたいへん穏和で建設的な調子を用い、新政権以前に23年間続いた軍事政権の指導者の誰よりも多くの改革を実施すると公約した。政府が優先事項としたのは、経済改革、教育の向上、汚職廃絶、環境保護だった。8月には政府高官が亡命反体制派に対し、帰国しても罪は問わないと呼びかけた。
連邦議会では、議員が発言するには2週間前の通告と政府からの承諾が必要となる。従来デリケートとされてきた話題が新議会で取り上げられている。政治囚への恩赦や、長年抑圧されているムスリム系少数民族ロヒンギャへの国籍付与、現在は禁止されている民族語による教育の実施などの教育改革といった問題だ。また政府は、もし施行前に内容が後退しなければ、国民に労働組合や結社の結成を許可することになる法律の作成に取り組んだ。
新議会が審議した法案には、労働組合の結成、非暴力集会の許可のほか、長年弾圧されてきた反対政党・国民民主連盟(NLD)の政治参加を可能にする政党登録法の改正案があった。こうした変化は法文上では期待が持てる。しかし実際の実施方法や実現される社会参加の程度については予断を許さない。
メディア規制は一部で緩和された。軍政プロパガンダのスローガンは雑誌や新聞に掲載されなくなった。アウンサンスーチー氏の名前を出したり、写真を掲載したりすることは長年禁止されてきたが、現在は許可されている。しかし検閲委員会は政治的にデリケートと見なした文章の掲載は禁止しており、現在もメディア関係者約20人が投獄されている。このなかには、ラングーン(ヤンゴン)中心部での爆弾事件後にビデオ撮影を行ったとして2011年9月に16年の刑を宣告された映像記者(21歳)もいる。
9月5日、政府は全国人権委員会を新たに設置した。委員会は元大使、学者、公務員の合計15人からなる。
3月以降、アウンサンスーチー氏は従来よりもかなり自由に、外を移動したり、NLD党員らと会見したりできるようになった。ただし同党は、選挙法上は現在も違法とされている。スーチー氏は8月に首都ネピドーでテインセイン大統領に会談した。これが2005年に開設された首都への初訪問となった。
11月にNLDは、同党の政党再登録と、2012年に予定される補欠選挙への候補擁立検討を発表した。またスーチー氏自身も出馬検討中だと伝えた。
民族紛争と避難民
ビルマ国軍と民族武装勢力との国内での戦闘は2011年に拡大した。長年の停戦合意が複数崩壊したことがその理由だ。ビルマ東部カレン州では、民主カレン仏教徒軍(DKBA)の分派が2010年11月の総選挙後に戦闘を再開した。タイ・ビルマ国境で激しい戦闘となり、約2万人が難民としてタイ側に避難を余儀なくされた。DKBA部隊の大半が国境防衛隊(BGF)部隊として国軍の支配下に組み込まれることを拒否し、両者の16年にわたる停戦合意が崩壊した。
3月、国軍は1989年の停戦合意を放棄したシャン州軍-北部(SSA-N)を攻撃した。部隊を解散し、政府の管理下で民兵組織となるようにとの圧力に対してシャン州軍側が抵抗したためだ。シャン州北部の戦闘では民間人推計3万人が避難民となった。
6月、ビルマで2番目に大きな反政府武装組織のカチン独立軍(KIA)とビルマ国軍の戦闘が始まった。中国国境に近いビルマ北部で起きた戦闘で、1994年の停戦合意は破棄された。現地の女性の権利擁護団体の報告によれば、最初の2ヵ月間だけで、成人女性と少女35人以上が強かんされるなどの深刻な性暴力被害が発生している。また民間人3万人以上が、強制労働や超法規的殺害、無差別砲撃などの国軍の人権侵害から逃れるために国内避難民となった。さらに数千人が中国側に難民として逃れた。
ビルマ国軍は、対人地雷の使用や超法規的殺害、強制労働、拷問、暴行や略奪などの国際人道法違反行為を繰り返している。成人女性と少女への性暴力は依然として深刻な問題であり、実行者が訴追されることはごくまれだ。政府としては国際労働機関(ILO)と子ども兵士の除隊で協力しているにもかかわらず、国軍は子ども兵士の積極的な採用と使用を継続している。
1月にカレン州のビルマ国軍部隊は、戦闘地域で進行中の軍事作戦に際して、囚人にポーター労働を強制した。長年続くこの慣行により、多数の囚人が刑務所や労働キャンプから前線部隊の下に派遣され、軍需物資や資材を最前線まで強制的に運搬させられるほか、弾避けや対人地雷の探知役として「人間の盾」扱いされることも多い。ポーターは強制的な従軍の最中に拷問や殴打などの虐待行為を受けることも多い。
民族武装勢力も、子ども兵士の採用、超法規的殺害、民間人地域付近での対人地雷の使用などの深刻な人権侵害に関わっている。
約50万人がビルマ東部の紛争により国内避難民となっており、このほか14万人がタイ側の難民キャンプで生活している。タイ当局は2011年に難民の帰還要求を強めた。ビルマ政府当局者はこれを歓迎し、欧州連合(EU)当局は難民支援に関して帰還準備関連部分の優先順位を上げた。しかし現在も紛争中の地域への難民帰還には深刻な懸念が存在する。バングラデシュ当局はロヒンギャ難民キャンプを閉鎖し、少数者であるロヒンギャをビルマ側に送還するとの脅しを強めている。2万8千人のロヒンギャ難民がバングラデシュの公式難民キャンプに住み、このほか20万人が国境地帯の粗末な建物に住んだり、現地住民に混ざって生活している。
数百万人の移民労働者、難民、難民申請者がタイ、インド、バングラデシュ、マレーシア、シンガポールで生活している。
国際社会の主要アクター
2011年に、16カ国がビルマでの国際人権法と国際人道法の違反行為に関する国連主導の調査委員会の設置を公式に支持した。しかしいずれの国も委員会の設置に向けた取り組みを推進することはなかった。ほとんどの国が対ビルマ政策では静観の立場をとり、政府が改革を公約していることに触れ、アウンスーチー氏の「変革の機会」になるかもしれないとの用心深い楽観主義的な表現を引用する。
5月には、ビルマに関する国連事務総長特使のウィジャイ・ナンビア氏がビルマを訪問した。そして公約に含まれる改革の実現に楽観的な見解を表明する一方で、政治囚釈放が国際社会にとって期待はずれに終わったことを指摘した。8月に発表したビルマの人権状況に関する報告書で、潘基文国連事務総長はビルマ政府に改革公約の実現を促したが、政治囚の釈放や民族組織との和平交渉、スーチー氏への活動制限の全面解除を行わなければ、民主化プロセスに対する国際社会の信頼は損なわれると指摘した。
ビルマの人権状況に関する国連特別報告者トマス・オヘア・キンタナ氏は8月にビルマを訪問した後に、変化の兆しは確かにあるものの「尋問中の拷問や虐待が引き続き告発されていること」など「現在も続く深刻な人権上の懸念」が引き続き存在することも指摘した。また9月に国連総会に提出した報告では「市民的、政治的、経済的、社会的、文化的諸権利など、広範な領域を包括する多くの深刻な人権問題がいまも存在しており、解決の必要がある」と述べた。
米国、EU、オーストラリア、カナダ、およびスイスは、ビルマに対する限定的な貿易金融制裁を継続し、最近のビルマ政府の対応では制裁解除には十分ではないと主張している。9月と11月には、ビルマに関する米国特別代表兼政策調整担当に新たに任命されたデレク・ミッチェルがビルマを公式訪問した。同氏は、一連の改革はもっと本質的な変化につながる可能性があるとの注意深い楽観主義の立場をとったものの、ビルマ政府に対して「改革と国民和解に対する真摯で真剣な関与を示すために、適切な方法で具体的な行動を取ること」を強く求めた。ジョン・マケイン米国上院議員は5月から6月にかけて、タイ・ビルマ国境地帯の難民キャンプを訪問するとともに、ビルマ国内で政権幹部と野党指導者との会談を行った。
バラク・オバマ米国大統領は11月、ビルマでの「変化の兆し」を後押しするために、ヒラリー・クリントン国務長官が12月に同国を訪問すると発表した。米国閣僚のビルマ訪問は50年ぶりだ。
11月の東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットでは、ビルマが2014年に議長国となり、同年のASEAN関係会合すべてのホストを務めるとの発表があった。
ビルマの隣国である中国、インド、タイはビルマへの投資と広範な分野での貿易関係を維持し、とくに資源開発と水力電源開発の分野に注力している。ビルマは天然ガス売却で数十億米ドル(数百億円)の利益を得ているが、保健や教育など社会サービス関連分野にはほとんど使われていない。
中国は、ビルマ西部と雲南をつなぐ2本のパイプラインの建設に着手しており、鉄道路線の建設も行われる。上ビルマのイラワディ河に巨大水力発電ダムを複数建設する計画は、環境と民族的少数者への影響をめぐって国内で大きな論争を呼んだ。9月下旬、テインセイン大統領はミッソンダムの建設凍結を発表した。この決定はビルマ国内で歓迎されているが、中国政府からは批判されている。
ダム建設の他にも中国の複数の投資物件が負の影響を与えている。ビルマ北部での農業ベンチャー事業では、政府当局による土地の没収が起きた。インドはビルマ政府のカラダン川での大規模なインフラ整備事業について2011年も工事を進めており、鉱山開発への投資も続けている。タイへの天然ガス売却は依然としてビルマ政府最大の外貨収入源であり、外貨収入額は中国のパイプライン建設が2013年に完成すると大幅に増加する。
ロシア、中国、北朝鮮はビルマへの武器売却を続けている。これについて米国は、北朝鮮の武器売却は核不拡散に関する国連安全保障理事会決議に違反する可能性があるとたびたび懸念を表明している。