コーニー氏の暗殺はビルマにとって、またこの国に寛容さを広め、人権尊重を促そうと取り組むすべての人びとにとって多大な損失である。氏は人権と民主化の分野で長年活動し、憲法学者として尊敬を集め、現与党・国民民主連盟(NLD)の法律顧問を務めていた。NLDの政策に影響力を持つ、残された数少ないムスリムであったコーニー氏は、不寛容が高まる昨今の状況のなかで良識を訴える存在だった。

Supporters carry the coffin of U Ko Ni in Rangoon, Burma, on January 30, 2017.

© 2017 Reuters

2017年1月29日午後、コーニー氏はラングーン国際空港の建物を出て、孫を両腕に抱いているところを銃殺された。閣僚のインドネシア公式訪問への同行を終えて帰国したところだった。宗教間の違いを乗り越える道を模索するための訪問だった。容疑者は現場から逃げようとしたが、その場で取り押さえられた。

私がコーニー氏にラングーンで初めて会ったのは去年6月、自分が執筆したヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書の発表記者会見の席上だった。報告書は発足直後のNLD政権に対し、暴力によらない表現および集会を犯罪とする法律の改廃を求めるものだった。ビルマの時代遅れの抑圧的な法律を撤廃すべきという私たちの主張を支持するとコーニー氏は述べる一方、50年に及ぶ軍事政権支配で確立した制度が一気に変わることはありえないとも強調していた。

記者会見後、私たち2人はホテルの喫茶店で落ち合った。ラマダンだったため何も口にしなかったコーニー氏は、ビルマのムスリムが様々な形で社会の周縁に追いやられている事実、そしてそれを何とかしたいという強い思いを静かに、しかし熱く語ってくれた。ソーシャルメディアにムスリム差別のヘイトスピーチが溢れている現状を憂慮するとともに、それに対抗する方法を見つけ出さなければならないとも話していた。思慮深く、クリエイティブで、原則を曲げることなく、法による正義のために決然と戦う人物だった。こうした資質のすべてが今のビルマでは実に強く求められている。

暗殺の動機はいまだ不明だ。だがはっきりしているのは、ビルマという国は寛容とインクルージョンがこれほど求められているこのタイミングで、その強力な擁護者を失ったことである。コーニー氏の活動、法律家としての仕事、そして揺るがない原則に基づく慈悲心に感銘を受けた多くの人びとは、今回の悲劇的な死を必ずや悼むだろう。氏が取り組んできたきわめて困難な課題を引き継ぐのはアウンサンスーチー氏率いるNLDだ。迫害が深刻化する国内のムスリムについて、それがラカイン州のロヒンギャであれ、ビルマ都市部のマイノリティのコミュニティであれ、かれらの権利を守るべく力強く、首尾一貫して活動することを通じ、コーニー氏が遺した業績に敬意を表すること。これこそがスーチー氏に求められているのである。