(ワシントンDC) ― キューバを50年近く支配したフィデル・カストロ前国家評議会議長は、事実上すべての形の政治批判を罰する抑圧的な制度を構築した。この負の遺産は、彼の死後もなお生き続けている。

Fidel Castro. 

カストロ前議長の統治下で、多数のキューバ人が過酷な刑務所に収容され、さらに多くが嫌がらせや脅迫を受け、数世代にわたる人びとが基本的な政治的自由を否定された。キューバは保健と教育で前進を遂げたが、こうした改善の大部分は、長期にわたる経済的苦難と抑圧的政策によって損なわれてしまった。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの南北アメリカ局長ホセ・ミゲル・ビバンコは、「同地域の他の国々が独裁政権から脱してゆくなか、フィデル・カストロ前議長のキューバだけが、事実上すべての市民的および政治的権利を抑圧し続けた」と指摘する。 「前議長は過酷な支配と反体制派に対する厳しい処罰を駆使して、何十年も抑圧的な体制を維持してきた。」

抑圧は法によって成文化され、治安部隊、民間の親政府団体、政権から独立していない司法機関によって現実化した。 このような人権侵害がキューバに恐怖の風土を広く根づかせ、基本的権利の行使を妨げた。そして、国家批判をなえさせる一方で、国家への忠誠を誓うよう人びとに圧力をかけた。

Raúl Castro speaks at a rally in Camagüey, Cuba, in July 2007, a year after being handed power by his ailing brother, Fidel Castro (depicted in the bas-relief in the foreground).

 

監視や暴力、恣意的拘禁、政府支持者等による公な抗議活動(Acts of repudiation)]など、カストロ前議長の統治時代に展開された人権侵害的戦略は、今もキューバ政府が使用している。

カストロ前議長は、腐敗し人権侵害的だったバティスタ政権打倒革命を主導し、1959年に権力の座についた。1976年には、起草を自ら監督した新憲法により政府の構造改革を実施。この憲法制定から2006年7月に弟ラウル・カストロ現議長に権力を移譲するまでは、キューバ政府でもっとも強力な3つの地位すべて(国家評議会議長、閣僚評議会議長、キューバ共産党中央委員会第一書記)を務めた。国家評議会議長および閣僚評議会議長の座を正式に退いたのは2008年2月、共産党第一書記を辞任したのは2011年4月19日のことだった。

キューバはカストロ前議長のもと、教育や医療などで一部、経済的・社会的・文化的権利の漸進的な実現に関し重要な進歩を遂げた。 たとえばキューバの識字率はほぼ普遍的といえるレベルで、国連が2000年に設立したミレニアム開発目標(MDGs)は、2015年の期限までに達成もしくはほぼ達成されたと、ユネスコは結論づけている。

しかし経済的・社会的・文化的権利の進展は、市民的および政治的権利の尊重を欠いたものだった。 数十年にわたるカストロ統治を貫いた基本的自由の否定がゆるめられたことはないばかりか、たとえば2003年に人権活動家、ジャーナリスト、労働組合員ほかの体制批判者75人が一斉検挙されたように、弾圧が強まる時期もあった。これらの人びとは米政府の「傭兵」と非難され、非公開の略式裁判で裁かれた。多くは非人道的な刑務所に長年にわたって収監され、独房入りや暴力に広く直面。深刻な病気でも基本的な医療さえ拒否された。フィデル氏から弟のラウル氏に権限が移行した後、収監中だった50人超の囚人が、ほとんどがスペインに亡命するという条件のもと釈放されている。

フィデル・カストロ前議長のもとでキューバ政府は、国内人権団体や野党、独立した労働組合や報道の自由を認めなかった。また、赤十字国際委員会やヒューマン・ライツ・ウォッチのような国際NGOといった国際監視団が、人権状況を調査するためにキューバ国内にアクセスすることも拒否した。

カストロ前議長の統治期間中、キューバを変革しようとする米国の努力は何度も失敗している。 1960年代になると、失敗に終わったピッグス湾事件や複数の暗殺未遂などのように、隠密の軍事行動のかたちをとるようになった。ドワイト・アイゼンハワー米大統領は1960年に制裁を発動。その後、ジョン・F・ケネディ米大統領によって拡大され、最終的には1996年のキューバの自由と民主連帯法によって固定された。 「ヘルムズ・バートン法」とも呼ばれるこの法律は、キューバが政治活動を合法化し、自由で公平な選挙の約束をするまで、米大統領による貿易制限の解除を禁じるもの。 また、フィデル氏とラウル氏がキューバを統治している限り、制裁を解除することも禁じている。

制裁はキューバ国民全体に無差別な苦難をもたらし、キューバの人権状況の改善には全く役にたっていない。 政策はキューバを孤立させるのではなく、米国を孤立させた。 カストロ前議長は、海外からの同情を得るために制裁を利用することに非常に長けていた。一方で、キューバを国内から改革しようとする正当な試みを、米国主導・援助の動きと断じるなど、制裁を弾圧の口実にしていた。

2014年12月、バラク・オバマ米大統領は米国政策で長らく先送りにされていた転換に着手するとして、議会に対キューバ経済制裁を解除するよう呼びかけ、キューバとの国交を正常化し、旅行や商取引に関する規制を緩和する意向を発表した。それに応えてラウル・カストロ政権は、2カ月〜2年間にわたり収監していた53人の政治囚に条件付きの釈放を許可した。

しかし、これらの人びと、そしてそれ以前の多数の投獄を許したジョージ・オーウェル式の法律はいまだ健在であり、政府は体制批判をしたり、基本的な人権を求める個人や団体を弾圧し続けている。恣意的な逮捕や短期間の拘禁により、人権活動家や独立系ジャーナリストほかが、自由に集まったり移動することを妨害されている。人びとが平和的な行進や政治集会に参加するのを阻止するために、拘禁が先制的に用いられることもしばしばだ。

キューバ政府と米国は2015年7月に国交を回復した。3月にはオバマ米大統領がキューバを訪問し、ラウル・カストロ議長ならびに市民社会の代表者たちと会談した。 オバマ米大統領は全国テレビで演説。カストロ現議長との共同記者会見では、キューバ政府に対し政治的自由の規制を解除するよう迫ったうえで、対キューバ経済制裁に終止符を打つよう米議会への要請も改めて表明した。

ビバンゴ局長は、「フィデル・カストロ前議長は何十年にもわたって、米国の誤った政策の最大の受益者であった。被害者を演じることで、他政府による彼の抑圧的な政策への非難を牽制できたのである」と指摘する。 「今も制裁が続いてはいるが、オバマ政権のキューバ関与政策によりキューバ政府は反体制派を抑圧するために欠くことのできなかった口実を失っている。」