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6月12日に実施された大統領選挙結果をめぐる対立と、そこから生じた大規模な抗議行動を受けて、イラン政府は過去10年間で最大規模の弾圧を行った。政府筋によれば、治安部隊は少なくとも30人の死亡に関する責任がある。8月13日、司法権のアリー・レザー・ジャムシーディー報道官が行った発表によれば、当局は選挙後に4000人を拘束した。概ね非暴力的だった街頭デモの参加者が、拘束された4000人の大半だった。治安部隊も、人権弁護士など反体制派の主要人物数十人を逮捕した。当局は容疑を示さずに拘束を続け、多くを独房拘禁状態に置いた。最高指導者アリー・ハーメネイー師の監督下にある司法権、革命防衛隊、民兵組織「バシジ」および情報省の4組織は多くの深刻な人権侵害を行った。一方、表現・結社の自由への規制、宗教やジェンダーに基づく差別、頻繁な死刑執行(少年犯罪者への処刑を含む)など長年の人権問題が依然として存在した。

拷問と政治囚の虐待

大統領選結果が争点化したことで、一般のデモ参加者と著名な反体制派は共に、裁判なしに身柄を拘束されたほか、性暴力などの過酷な処遇を受けたり、選任した弁護士との接見交通妨害など法の適正手続が欠如した状態に置かれるなどした。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、被収容者が拷問を受けたか、虚偽の自白を強要されたか、またはその両方である少なくとも26件の事例を記録して明らかにした。しかし現地の活動家はもっと大量の事例があるとする。釈放された元被収容者の一部は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、独房拘禁され、食糧も適切な医療も提供されなかったと述べた。治安部隊は殴打、家族への脅迫、睡眠遮断を行ったほか、死刑を執行するふりをして被収容者に強い恐怖を与えるなどして、選挙後の暴動を扇動して「ビロード・クーデター」を計画したとの虚偽の自白を行わせようとした。政府は一連の見せしめ裁判で、著名な反体制派が公の場で容疑を「自白」したと宣伝した。対象となったのは、モハンマド・アリー・アブタヒー元副大統領(闘う宗教指導者会議)、モハンマド・アトリヤーンファル(建設の奉仕者党)、サイード・ハッジャーリヤーン(イラン・イスラーム参加戦線)、サイード・シャリーアティー(イラン・イスラーム参加戦線)、アブドッラー・モメニー(学生活動家)、ヘダーヤトッラー・アーガーイー(建設の奉仕者党)のほか、マーズィヤール・バハーリー(「ニューズウィーク」誌記者、映画監督)、アミール・ホセイン・マフダヴィー、ミール・モハンマド・ホセイン・ラッサーム(在イラン英大使館上級分析官)らのジャーナリストやアナリストだ。

表現の自由

イラン当局は、批判的な見解を公表したという理由で、ジャーナリストや出版関係者を引き続き投獄。また出版や学術活動を厳しく制限した。

大統領選後に当局は30人以上のジャーナリストとブロガーを逮捕。収監されたジャーナリストの一部とその家族は、拘束中に治安部隊から虐待を受けたと主張した。

2009年を通じて、イランの国家安全保障最高評議会は新聞社に対し、人権侵害や社会的な抗議行動などの話題を扱わないようにとの警告を公式または非公式な形で行った。文化イスラーム指導省は、独立系新聞の出版前モニタリングと検閲を現在も続けている。

6 月15日、当局は「キャラメイェ・サブズ」(緑のことば)紙の発行を停止させた。同紙の発行権所有者は、現政権に対立する大統領候補だったミール・ホセイン・ムーサヴィーだ。8月17日、同じく大統領選に立候補したメフディー・キャッルービーの系列の新聞「エッテマーデ・メッリー」紙が発行停止となった。理由は、大統領選後に逮捕された人びとのなかに、拘束中にセクシャル・ハラスメントや強かんの被害を受けた者がいる、というキャッルービーの書簡を新聞に掲載したことだった。

国立大学は、政治活動に積極的な学部生の一部に対し、通常ならば大学院に登録できる成績であるにも拘わらず、大学院への登録を禁じた。

選挙後、政権は、国内外のメディアへの締め付けを大幅に強化。外国メディアの通信員として働くジャーナリストを少なくとも2人逮捕したほか、少なくとも10数人のジャーナリストに選挙後の情勢の取材を禁じ、国外退去処分とした。10月初めに、治安部隊は著名なイラン人ジャーナリスト3人--バードロサーダート・モフィーディー(イラン・ジャーナリスト協会書記)、ファルザーネフ・ルースタイー(「エッテマーデ・メッリー」紙記者)、ザフラー・エブラーヒーミー(「ハムシャフリー」紙記者)--の旅券をテヘラン空港で没収し、イランからの出国を阻止した。

政府は、政治ニュースや分析記事を掲載するイラン国内外のウェブサイトの閲覧を組織的に阻止し、反体制組織の集会に利用されていたSMS(携帯のショートメッセージサービス)を停止した。

結社の自由

政府は、人権と言論の自由を訴える市民団体への規制を強化した。2008年12月23日、治安部隊は、2003年のノーベル平和賞受賞者で弁護士のシリン・エバディ氏が議長を務める人権保護協会の事務所を閉鎖した。後日当局は、センターに協力する人権弁護士を脅迫。エバディ氏への協力をやめるよう要求した。

8 月17日、テヘラン検事正サイード・モルタザヴィーが発布した令状に基づき、当局は同日に年次総会を行っていたイラン・ジャーナリスト協会を閉鎖し、3,700人以上が加盟するイラン唯一で最大のジャーナリスト協会の活動を停止させた。

1 月21日、メフディー・ザーヘディー科学技術相は、独立系の全国学生組織である団結強化事務所(DTV)の非合法化を宣言し、大学構内での活動の継続を禁止した。10月2日、当局はテヘラン北部の公園で非公式に会合していた同事務所幹部14人を逮捕した。政府はまたボランティア・アクターズ(市民団体のための情報センター)、NGO訓練センター、ラーヒ研究所などの市民団体の活動を引き続き停止させている。これらの組織はすべて著名な社会運動家が代表を務めるもので、政府は2007年から2008年にかけて恣意的に閉鎖を命じていた。

2006 年以降、当局は、労働条件や給与の改善、給付金のほか、差別的な法律の改正を求める労働者団体や教員団体、女性の権利団体に過酷な弾圧を行っている。2009年に当局は組合指導者や女性活動家を逮捕し、教師や労働者の集会を弾圧した。

死刑

イランの死刑執行数は中国に次いで世界第2位だ。死刑執行の中には、弁護士へのアクセスが不十分なままに不当な容疑や政治犯罪で有罪とされるケースがかなり含まれている。2009年に当局はキャラジ市で麻薬密輸の罪で20人を、またスィースターン・バルーチェスターン州で活動する反体制武装組織ジョンドッラー(神の兵士)のメンバー13人をそれぞれ絞首刑にした。

イランは少年犯罪者の処刑(未成年で犯した罪による死刑)が世界で最も多い。10月現在、イランは2009年に3人の少年犯罪者を処刑した。イラン法では「思春期」に達した人物には死刑判決を下すことができ、規定ではその年齢は女子9歳、男子15歳だ。少なくとも130人の少年犯罪者が死刑囚として収監されている。死刑判決は不公正な裁判で下されたケースが多い。

1 月21日に、イラン政府は21才のアフガニスタン人モッラー・ゴル・ハッサンを17歳のときの犯行で処刑した。5月1日に、イラン政府は17歳で殺人を行ったとして起訴されたデラーラー・ダーラービー(22)を密かに処刑した。この裁判には瑕疵があり、4月19日にはアーヤトッラー・ハーシェミー・シャーフルーディー司法権長官から彼女に対する刑の執行の2ヶ月停止の指示があったにもかかわわらず、である。10月12日、当局は、被害者家族が当初は罪の赦しを表明していたにも関わらず(訳注:この場合、被害者遺族は死刑の代わりに賠償金を求めるか、賠償金を求めずに死刑執行の請求を放棄することもできる)、2005年に17歳で犯した殺人を理由にベフヌード・ショジャーイーを処刑した。

人権活動家(人権の守り手)

政府は2009年に人権弁護士への弾圧を強化。恣意的な身柄拘束や旅行禁止、嫌がらせなどを行った。6月 12日の大統領選挙後、当局は少なくとも4人の人権弁護士(アブドル・ファッターフ・ソルターニー、シャーディー・サドル、モハンマド・モスタファーイー、モハンマド・アリー・ダードハーフ)を逮捕。政府がこうした著名な弁護士を弾圧する動機は、当人たちはもちろん、若くてまだそれほど知名度はないものの政治囚の弁護に加わろうと考えている弁護士たちを脅し、萎縮させることにある。

司法権当局は、被収容者の家族に対し、著名な独立系人権弁護士を拘束中の家族の弁護人に選任することを許可しなかった。被収容者の家族は、当局から、もしこうした弁護士に依頼した場合には、家族は「長期間投獄される」ことになると言われたと話している。複数の元被収容者はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、シリン・エバディなど有名な人権弁護士の選任を禁じられたと述べた。

少数民族の処遇

政府は、イランの最大の非イスラーム系宗教的少数者であるバハーイー教徒の信教の自由を否定している。2008年5月、当局はバハーイー教の全国組織の幹部7人に対し、公安関係容疑の冤罪を仕立て上げて逮捕。政府は彼らをスパイ活動で訴えたが、証拠が示されることはなかった。また弁護団からの保釈請求も、自由で公正な裁判を迅速に行なうという要求も、いずれも受け入れられなかった。2009年11月(執筆時点)現在もこの7人は勾留中である。

北西部のアゼルバイジャン州とクルディスタン州では、政府は文化・政治活動に抑圧しているほか、社会問題を扱う組織の活動にも制限を加えている。政府はまたこうしたマイノリティが自分の文化や言語を広めることを制限している。

国際社会の主要アクター

政府は、外国メディアと外国政府が6月中旬の大統領選挙後の抗議行動を扇動したと非難。海外特派員の大半を国外退去としたほか、テヘランの在イラン英国大使館で働くイラン国民を逮捕した。

選挙後、米国のオバマ政権はデモ参加者への暴力を非難し、イラン国内での人権尊重を強く求めた。しかし反体制運動への支持を示唆するようなはっきりとした言葉遣いは避けた。

10 月26日、EU議長国のスウェーデンは選挙後の人権状況を非難する強い声明を発表し、特に死刑判決の増加、公安に対する罪で起訴された約150人の大量裁判、ジャーナリストや人権活動家、政治活動家の恣意的拘禁を非難した。

2005 年以降、政府は、国連人権理事会の独立専門家たちの同国訪問を拒否している。独立専門家たちは、人権侵害の申立があった事例を調査することとなっている。11月20日、国連総会第三委員会(全加盟国・地域で構成)は決議を採択し、イランを「恣意的逮捕や拘束、失踪などによる嫌がらせ、脅迫、迫害」と共に「政府が指揮する民兵による暴力や脅迫」で非難した。