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(ベイルート)サイード・モルタザヴィー元テヘラン検事総長への捜査にあたっては、責任が取りざたされてきた過去の深刻な人権侵害も対象とし、早急に透明性を確保した上で結論が出されるべきであるとともに、犯罪の関与を示唆する証拠がある場合は起訴を行うべきである。現在、社会保険基金の代表であるモルタザヴィー氏には、大規模な抗議行動に発展した2009年の大統領選挙後に起きた、デモ参加者数十人の死亡・拷問・恣意的拘束のほか、過去12年以上にわたる人権侵害事案に関与した容疑がある。氏はいったん逮捕されたが、2013年2月6日に釈放された。

当局はモルタザヴィー氏を2月4日に逮捕した。容疑は社会保険基金代表としての資金不正利用に関するものだと、イラン準国営ファールス通信は報じた。氏は6日に釈放された。逮捕前日にイラン議会は、モルタザヴィー氏の社会保険基金代表からの解任を拒否しているとの理由で、マフムード・アフマディーネジャード政権の協同労働福祉相の解任を決議した。大統領は反対派を厳しく非難し、汚職の嫌疑を掛けた。2013年1月に検事総長は、前回の大統領選挙後にキャフリーザク拘置所で発生し、モルタザヴィー氏が関与した疑いのある人権侵害事案に関して、本人に対する捜査を2月に開始すると発表した。だが今回の逮捕とこうした人権侵害事案との関連はなさそうだ。2010年の議会調査委員会は、モルタザヴィー氏が2009年の人権侵害の中心人物だったと主張する証拠を提出している。

「モルタザウィー氏が問われている経済犯罪の中身とは別に、氏の責任が追及されるべきおびただしい人権侵害が存在する」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東局長サラ・リー・ウィットソンは述べた。「モルタザウィー氏の初逮捕の背景にあると見られる、また氏が拷問と殺害事案に果たした役割の調査を行うという、政治への明るい兆しがあることに期待したい。」

1月21日、ゴラームホセイン・モフセニー・エジェイー司法権報道官・検事総長は、司法権が2月26日に、モルタザウィー氏と司法部門の部下二人について、2009年の大統領選挙後の反政府デモ参加者への拷問と殺害に関わる容疑で犯罪捜査を開始すると発表した。2012年前半にモルタザヴィー氏は社会保険基金の代表に任命されたが、これは反大統領派の多くの不興を買っており、最終的に、2013年2月3日の議会での、モルタザウィー氏の上役である協同労働福祉相の解任に発展した。

その翌日の2月4日、当局はモルタザヴィー氏を逮捕した。容疑は社会保険基金の代表在任中の資金横領である。

2010年1月、キャフリーザク事件に関する国会調査委員会は、元テヘラン検察庁長官のモルタザヴィー氏が、キャフリーザク拘置所への収容者の移送と同拘置所での人権侵害の首謀者だと報告している。またモルタザヴィー氏の腹心であるアリー・アクバル・ヘイダリーファルド氏とハサン・デフナヴィー氏の容疑も認定した。

イラン国内では、警察当局に拘束されたアミール・ジャヴァーディーファル、モフセン・ルーホルアミーニー、モハンマド・カームラーニーの3氏が、キャフリーザク拘置所で死亡した事件が大きく報じられてきた。2010年に遺族と人権活動家は、同拘置所に拘束されていたラーミン・アーガーザーデ・ガフレマーニー氏とアッバース・ネジャーディー=カールギャル氏の2人が釈放後に死亡した件についても、収容中の負傷が原因だと訴えた。当局はこれまでのところ、両氏の死亡と同拘置所での負傷との関係を認めていない。

キャフリーザク拘置所での収容中に、治安部隊から拷問や性暴力などの虐待を受けたと訴える元収容者もいる。さらに複数の被害者を治療し、2009年に国会調査委員会で証言した医師が不審死を遂げている。医師の報告は、収容者の死因を髄膜炎とするモルタザヴィー氏らの証言と矛盾するものだ。

2009年7月にイラン国会は「選挙後の収容者の状況を調査する国会特別部会」を設置。選挙後の弾圧で逮捕された収容者に拷問や虐待があったとの申立について調査を行った。委員会の報告は次のように述べる。当時テヘラン検事総長のモルタザヴィー氏は、収容者をキャフリーザク拘置所に移送したのは、テヘラン北部のエヴィーン刑務所の収容面積が不足したためだと主張した。だが刑務所当局者は委員会に対し、収容は可能だったと述べた。委員会は、モルタザヴィー氏による、デモ参加者のキャフリーザク拘置所への移送決定は「エヴィーン刑務所に収容能力が仮になかったとしても正当とは認められない」とし、氏にはジャヴァーディーファル、ルーホルアミーニー、カームラーニーの3氏の死亡に責任があると判断した。

2009年12月に軍司法庁は、警察官11人と、警察と共謀したとされる民間人1人をキャフリーザク事件での死亡事案に関して、殺人罪で起訴した。2010年6月30日付のイランでの報道によれば、うち2人に死刑(同害報復刑として)、罰金、鞭打ち、被害者遺族への賠償金を課す有罪判決が下された。また残りの9人には、キャフリーザク拘置所での人権侵害に関与したとして、刑期非公開の禁固刑と罰金刑が言い渡された。被告人のうち最も高位の職にあった、当時の首都テヘラン治安維持軍司令官(テヘラン警察長官)アズィーゾッラー・ラジャブザーデ准将は、すべての容疑で無罪とされた。

審理は非公開で行われたものの、モルタザヴィー氏、前出のデフナヴィー、ヘイダリーファルド(別名「ハッド刑判事」)両氏のほか、エスマーイール・アフマディー・モガッダム治安維持軍総司令官、アフマドレザー・ラーダーン治安維持軍総司令官代理ら、司法権幹部と警察幹部への尋問は行われなかった。2012年4月30日、親政府系ウェブサイトのターブナーク・ニュースは、治安部隊がヘイダリーファルド氏を拘束したと報じたが、当局はその後、キャフリーザク事件ではない刑事事件についての聴取だと発表した。

軍司法庁による判決の直後、犠牲者家族の側は「真の責任者を処罰させる」ため、死刑判決を受けた警察官2人を赦す(注:イランでは犯罪被害者側が、死刑を含む同害報復刑の執行停止を宣言できる)と発表した。そして、自分たちの息子を殺害した責任があると考える、モルタザヴィー、デフナヴィー、ヘイダリーファルドの3氏を現在も追及している。2010年には3人全員が、キャフリーザク事件への関与についての調査結果を受けて、司法権での職から解任され、政府関係者としての不起訴特権を失った。モルタザヴィー氏は重大な人権侵害に関与したとの有力な証拠があるにもかかわらず、アフマディネジャド政権下では国家密輸対策本部のトップを務めた後、社会保険基金代表に就任した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはイラン当局に対し、キャフリーザク拘置所内での人権侵害、ならびに大統領選後の弾圧で発生した人権侵害に関連して、モルタザヴィー氏ら責任のある高官に対して行われている犯罪捜査や訴追の現状に関する公的情報を明らかにすることを求めた。反政府デモ参加者がキャフリーザク拘置所で亡くなってから3年以上が経つが、司法権は、モルタザヴィー氏らに対する犯罪捜査または裁判の現状に関する具体的な情報を一切明らかにしていない。

モルタザヴィー氏は、大統領選挙後に拘束された改革派指導者・政党幹部を取り調べる責任者だったと、治安部隊に拘束された人物の親族はヒューマン・ライツ・ウォッチに対して証言している。この証言によれば、モルタザヴィー氏は、革命裁判所判事とテヘラン検察庁長官という立場を用いて、テヘランで逮捕された人びとの取り調べを主導した。

当局は、モルタザヴィー氏が裁判官や判事だった時期に起きた過去の重大な人権侵害についても捜査を行うべきだ。

2000年4月、当時政府職員犯罪審理裁判所(政府職員特別法廷)1410支部の裁判官だったモルタザヴィー氏は、勢いを増す政府批判への弾圧の先頭に立ち、100以上の新聞と定期刊行物の閉鎖を命令。2003年6月にはイラン系カナダ人のフォトジャーナリストのザフラー・カーゼミー氏が司法当局と治安当局により収監中に死亡したが、それを指揮していたのがモルタザヴィー氏だった。遺族の弁護団は、遺体には頭部打撲など拷問の痕跡があり、しかも氏がカーゼミー氏を直接尋問していたと主張している。

2004年、モルタザヴィー氏は20人以上のブロガーとジャーナリストの恣意的拘束を命じ、秘密刑務所に収容させた。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によれば、モルタザヴィー氏は収容者への虐待に直接関与し、長期間の隔離拘禁や虚偽自白の強要を行っていた。自白調書への署名は一部テレビで放映された。

「モルタザウィー氏の行った人権侵害が相当数に上るのはもちろんだが、他にも司法の裁きを受けるべき政府高官が多く存在する」と前出のウイットソンは指摘した。「モルタザヴィー氏には嫌疑の掛けられている犯罪について完全な捜査が行われるべきだが、深刻な人権侵害を行っているそれ以外の人びとを守るための身代わりに仕立てられるべきではない。」 

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