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バングラデシュで不当に扱われるビルマのロヒンギャ難民

タイもビルマへ難民たちを押し返す

(ニューヨーク)- バングラデシュに住むビルマのロヒンギャ難民は不当な扱いを受ける危険性が高まっており、必要最低限の人道支援を受けることもバングラデシュ政府により妨害されている。したがって多数の民間人が危険に晒され、近隣諸国での保護を求めざるを得ない状態にある。ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日このように発表した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムズは「バングラデシュ政府は、ロヒンギャ難民を保護する義務も、ロヒンギャ難民の人道的ニーズに対する国際援助機関の支援を許可する義務も無視している」と述べ、さらに、「この恥ずべき状況は長年続いており、今やタイやマレーシアなどへの二次的な人口移動を引き起こしている」と指摘した。

3月上旬、バングラデシュ政府は「タル」キャンプの大部分を破壊した。この集落はビルマ国境に近いコックスバザールの南、テクナフにあり、ロヒンギャ難民6000人以上が生活していた。退去を余儀なくされた住民に、代わりの住居は与えられなかった。

2004年10月にバングラデシュ当局から難民ではなく未登録滞在者と分類され、借りていた住居から強制退去させられて以来、この仮設キャンプの難民たちは、幹線道路に近い手狭な土地で生活を続けており、食糧支援や社会サービス、国際的な支援が満足に受けられない状態だった。バングラデシュ政府は、近くを通る幹線道路の拡張のため「タル」キャンプの一部を移動させた。多数の住居が破壊され、基本的援助の不足は深刻である。

バングラデシュ警察当局による人権侵害が、ロヒンギャ難民キャンプ内部と周辺で広範に発生していることが報告されている。女性に対する性暴力も報告されている。公式なロヒンギャ難民キャンプはナラパヤとクトゥパロンの2カ所だが、これらのキャンプ内では、人々が食糧や金銭を求めてキャンプ外へ出たことを理由に処罰されることが日常化している。また、不正を行うキャンプ当局者や外部の商人に、わずかな配給を売らざるをえないことも多い。バングラデシュ当局は、難民の帰還を促す手段の一つとして、キャンプ内での恒久的な建物の造営を許可していない。また子供たちは教育を受けることができない。医療サービスと医薬品の提供を受けることも当局から制限されている。キャンプ内で労働し、生計を立てることも同様に制限されている。

バングラデシュ当局は、ロヒンギャ難民への国際的な支援も制限している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や国境なき医師団(MSF)などの支援団体は少ない職員数と限られたプロジェクトしか許可されておらず、キャンプをより安定させ、恒常的な支援を行えるようなプロジェクトの実施は、地元当局によって常に阻まれている。

アダムズ局長は「バングラデシュ政府は貧困の中にある難民たちに手を差し伸べるべきで、一層苦しめるべきではない」と述べた。さらに、「国際的な人道支援機関と連携し、ビルマでの迫害から逃れてくる人々のために、安全な場所と基礎的援助を確保すべきだ。最低限これくらいは行われてしかるべきだ」と指摘した。

2006年10月以降、バングラデシュとビルマからのロヒンギャ2000人以上が約40隻の漁船でタイ南部に到着している。多くはマレーシアへ行こうとしていたとのことだ。タイ政府は、これらのロヒンギャ難民と移民をタイ南部のパンガー県、ラノーン県からタイ北部のターク県のメーソットへ移動させた上で、拘禁され不当な扱いを受けるビルマへ強制送還した。3月10日、ロヒンギャ男性67人がタイ軍の手で、ビルマ政府寄りの武装組織である民主カレン仏教徒軍(DKBA)の支配地域に強制送還された。そのほとんどはその後タイへ戻っている。3月23日、タイ政府はメーソット一帯でロヒンギャ56人を逮捕し、24日に前回と同じDKBAの支配地域へと移送した。

男性たちは「十分に理由のある迫害の恐怖」を有し、その地域への追放が自らの生命と自由への脅威となる地域に強制退去させられたのであり、これは1951年難民条約がいう「退去」(ルフールマン)を構成する。

DKBAの支配地域へ移送された男性の中には、その後、タイへ戻った人もいる。ヒューマン・ライツ・ウォッチはこうした人々の安全について大変懸念している。在留資格を持たず、国際支援機関による基礎的援助を受けることもできず、地元タイの治安当局に逮捕されかねない状態であるからだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、タイ政府に対して、現在拘束されている人々と、タイに戻った男性らがどのような立場にあるかを調べ、タイ国内で難民として庇護されるべきかを判断するため、UNHCRがこれらの人々と接触することを許可するよう求めた。

現在、1万人のロヒンギャ難民がUNHCRマレーシア事務所に登録されていると推定される。更に数千人が、未登録の移住労働者として生活している。その多くが、悪意ある雇用主、入国管理局、警察やその他のマレーシア当局関係者に虐待され、搾取されている。こうした人の移動の大部分は、組織犯罪ネットワークや人身売買グループが斡旋するもので、他国へ渡る人々を更なる危険に晒している。

「アラカン州のムスリム系少数派住民であるロヒンギャは10年以上に渡って絶望的な状況に置かれ、身動きができないでいる。バングラデシュ政府からは庇護を求めることを妨害され、ビルマ政府からは権利を侵害され続けている。こうした人権侵害が存在しているため、大量のロヒンギャが庇護を求めて近隣諸国に逃れざるをえないのだ。」アダムズ局長はこのように述べた。

バングラデシュにいるロヒンギャのうち推定2万6000人が、コックスバザールにある2カ所の絶望的で不衛生なキャンプ(クトゥパロンとナラパヤ)に住んでいる。しかしこの他に、未登録のロヒンギャ推定10万人がビルマ国境付近のバングラデシュ側で生活している。

1992年には、アラカン州でムスリムに対する残忍な民族浄化作戦が行われ、ムスリム系住民であるロヒンギャ25万人以上がビルマ西部からバングラデシュへの移動を強いられた。その後、何千もの人々が人口稠密なバングラデシュ側の難民キャンプから出ることができずにおり、何万もの人々がビルマへ送還され、更なる抑圧に直面している。1996年以降、ビルマへの帰国を余儀なくされた多くのロヒンギャについて、宗教的迫害、強制労働、そして国籍の否定に関する訴えがあまねく存在する。

一旦ビルマに帰国したロヒンギャには、仕事や住む場所を求め、またはビルマ軍による抑圧から逃れるためにバングラデシュへと再び逃れた人が多いが、なかにはビルマ軍の国境警備隊によりバングラデシュ側に追い出された人もいる。最近数カ月間、アラカン州のロヒンギャに対する人権侵害は続いている。例えば、ロヒンギャに国籍を認めない厳格な法令が存在し、移動の制限、土地の没収、ビルマ人仏教徒の集落建設のための強制退去、広範に渡るインフラ整備事業のための強制労働、モスクの閉鎖が行われている。なお2006年後半にはアラカン州西部の北ブティダウン郡のモスク9カ所が閉鎖された。

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